05.06.16:18
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08.18.21:58
多少の役不足
中国語を学習しはじめ・・・
いや、中国語の学習を3回挫折し
現在4回目の挫折に向けて
はや2週間ほどが経過した。
俺が、過去に実感したのは。
友達にその母語を話す仲間がいること
そして、異性であれば更にモチベーション
が上がり上達も早いということ。
広州のリンちゃんも懐かしい。
花火大会行った以来だ。
俺は、心がけてることがある。
絶対にアジア人と関わるときは
対日関係の認識をお互い話す。
デリケートな問題だが、
こっちは母国語を使える以上は
うまくやらなきゃいけない。
韓国人の女友達とも話したり、
俺は徹底した。
なんか、仲良くなる以前に民族問題に
近い国際的な日本の立場を日本人
としての立場から外国人に主張する
ことこそが、外人に対しての節度や礼
に近い敬意だと思う。
だから、俺の持ってる話を必ずする。
どの国にも良い人間も悪い人間もいるわけで
国同士の問題は、国でやればよくて
目の前の問題は、俺たちが一緒になって
解決しようそれが平和だ。
って話すと、さすが留学生のインテリだけ
あって、だいたい俺に男女問わず握手を
求めてくる。
そしたら、しめたもんですぐに仲良くなる。
下品な話は万国共通で、
俺の笑いもアジア人には通用する。
しかし、オセアニアの白人は苦笑いしたのは
気をつけなくてはいけない。
南半球には、恨みがある。
そのマインドは、大切だと思う。
変に話を大きくすると、会話の途中で地球儀が
必要で、慣れの果てにはつくねの串を片手に
宇宙の覇権争いになりかねない。
心に国境がないなら、
自分たちで境界線を引けばいい。
引いても、惹かれるな。
そして、笑いにおいても引かれるな。
そうやって、話をごまかせば大して相手も
心の隅にあるモヤモヤは取れて、笑った顔も
どこか澄んだ気もする。
と、適当なはなしをしてみる。
適当ってのは、
その状況に合わせた一番よいことである。
だから、
いい加減で行き当たりばったりって
ことじゃない。
よく、適当にやるんじゃないよと
言われるがどんでも無い話で俺には
褒め言葉にしか聞こえない。
だから、俺はいつまで経っても成長
しないのでしょうな。
良いとか悪いとかの了見で収まるような
話じゃない、自問自答のみで解決
させなきゃいけないことで。
それぞれが、考えなきゃいけない。
俺が今、一番話したい話題がひとつある。
それは、この男見事だなと俺に思わせる
やつがいない。
どういう意味かと聞かれれば、
ピッタっとそこに収まっている体裁。
能力とか才能とか、内面であるとか容姿
じゃまったくない。
性格が良いとか悪いなんてもっと
関係ない。
なんでも、かんでも
ウケを狙えば良いってもんじゃない。
つまり、才能を使えば良いってものでなく
出した後の客体に対する伝わり方まで
計算して生きてやつを指している。
自分の能力を理解して、
きちんと発揮している様が
なかなか見受けられない。
それは、言葉でなく存在自体に薫り高さを
感じる男のことだ。
ひとことで言う、巧みに近い上手さ。
だから、良いとか悪いの世界をいくらか超越
してないといけないのかもしれない。
それは、事後処理を前提とする
心構えであって自分を客観的に評価しながらも
センスの良さでその場をやってのける。
計算してたら、このスピードじゃ処理できない
ことこそが習慣という言葉じゃないだろうか。
それが、日常である限り特別でなく
そのものの生き様だと感じる。
つまり、その男の人生を見る。
そこまで、俺のイマジネーションを
掻き立てるようなやつはなかなか出会えない。
俺が、なにがなんでも理屈っぽいけど
言いたいことだけど、まともに見せれば
見せようとするほど矛盾する。
なんでもかんでも論理的にすれば
整理できた気にもなるし、
論理的に説明できないこともあるから仕方ない。
だけど、
そういうのを分からないといけない。
じゃあ、
分からないといけないのかといえば
別にそうでもない。
つけ加えるとすれば、
もう少し上手く処理できないのか。
それで終わる。
分かっているようで、分かっていないのは。
状況把握の段階で、正直じゃない。
把握の前提に自分の生活態度を
持ち込むから、ゴマを擦ったウソ臭くて
とてもじゃないけど本心じゃない。
寒気がするほど、人間らしさを欠いた
社会のねじれが生み出した虫みたいな
下品な処理になる。
どこにでもいるが。
話はあっち、こっちいくと調子が良い証拠。
話がどこにもいかないのは、不自由で
窮屈でしかたない。
その、やっぱり作為にしろ不作為にしろ
至らなさから意地悪な人間になる感覚を
覚えたほうがいい。
でないと、どこにでもあるお互いの存在を
知っているだけの血の通わない形で風化する。
壊れることは、摂理であり良い事だ。
だけど、俺はそこに流れる罪悪感を
どう相手が処理するかに興味がある。
罪悪感を他人の価値観と
イコールにして
常識と非常識の間を
思考回路無意識の恥から抽出して、
その雰囲気にあった間を適当に穴埋め
すれば、笑いは必ず起こる。
熱心なやつだから、俺はここまで
病的にやれる。
置き換えれば、外から鍵がかかった
病院の一室にいてもおかしくない状態で。
俺のこの病気が、ただ指定されていない
だけの話かもしれない。
ストア派の哲学で言ううならば、
強いられている状況に近い。
収まるか収まらないか。
収め方が見事ならば、
そいつは、多少は常識の世界に
住めない人間だってことは、
気づかれていないことだと指摘する。
おわり
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