05.06.20:58
[PR]
07.27.01:21
あっさり
まぁ、結論。
一人で生きるってのには、
限界もあることが分かりました。
人間には、
人間的でない出来事は
起こりえないですし、
何か外的理由で悩むとしても
それは、そのこと自体ではなく
それに関する内なる判断にある。
なぜ、不満を抱くのかを考えるよりも
宇宙の自然は耐えられぬような
ものは自分になにももたらさなかった
のではないか。
何ごとが、起ころうともそれは
永遠に昔から用意されたことである。
その用意された出来事を処理するのも
全ては主観にすぎない。
主観は、自分の力でどうにでもなる。
しかし、物事はそれ自体において我々の
判断をこしらえるものではないので
意見を決めたり、心を悩ませる必要はない。
だから、万物の法則に従い、
内なる指導理性に従うこと。
君の仕事は、何か。
「善き人間であること」。
これに成功するには、一般原理から
出発する以外に道があろうか。
その原理とは、一方において宇宙の自然に
関するものであり、他方においては
人間固有の構成素質に関するもである。
善への努力を行い社会に有益な存在であり、
神々へに感謝を忘れないこと。
さすが、ストア哲学には共感できる節が
たくさんあるなぁと邦訳の内容を見ると
理解できる。
そもそも、このマルクス・アントニウス・アウレリウス
は西暦121年に生まれた人間の著書である以上
少なくとも1800年前の内容であるからして、
結局は人間社会なんてもんは一介の俺みたいな
平民以下の下劣な野朗が考える前から解明
されてるわけである。
なら、利用しない手はない。
ストア哲学によれば、
人間は、肉体(肉)と霊魂(息)と叡智(指導理性)
によってから成る。
指導理性は、宇宙を支配する理性の一部であり、
神的分身であって、これが人間の心の中に座を
占めるダイモーンであって人間の人間たる所以
であると説明される。
俺が思うのは結局は
昔も今も分からない内容=神なわけじゃん。
結局は、文明が発達して科学が発展しても
それを利用する人間の理性が進化しない
限りそんなに進歩はしていないと思う。
不便か便利な世の中で、
人間の本質や能力の優劣を議論しても
意味は無いと思う。
要するに、
昔も今も人間の生物的な欲求の
度合いも事実が解明された度合いで
たいして変わらないだろうし、
この先、人間が生物として理性を
持ち続ける以上は死への恐怖から
逃れることはできないだろうしね。
最終的に、今の俺が抗うように
自分の内なる欲求が暴走し出す頃が
精神の寿命であって、肉体の寿命は
だいたい今から50年後あたりだと仮定する。
それは、魂への苦役なのだろうか。
人生が長くて、長くて仕方ない気がする。
精神的な充足も対して無くなり
やることも無いから、解明できない不安を
神として信仰したんだね。
分かる気がする。
結局ね、なげぇよ人生。
分割できねぇかな。
とりあえず、
22歳で死んで。
いつかの22歳で復活して
45歳死ぬ。
いつかの45歳で復活して
60歳で死ぬ。
いつかの60歳で復活して
75歳で成仏する。
やっぱりね。
53年間をストレートに過ごすのは
長すぎるよ。
ニートさまと熱心な信者と
無気力症候群の患者さまの
気持ちが分かる。
やりたいこと、22歳を迎えて
13日目にして見失う昨今。
もう、自分のテンションで生きてる以上は
ずっとこのままだと思う。
という、無気力な内容でした。
おわり。
一人で生きるってのには、
限界もあることが分かりました。
人間には、
人間的でない出来事は
起こりえないですし、
何か外的理由で悩むとしても
それは、そのこと自体ではなく
それに関する内なる判断にある。
なぜ、不満を抱くのかを考えるよりも
宇宙の自然は耐えられぬような
ものは自分になにももたらさなかった
のではないか。
何ごとが、起ころうともそれは
永遠に昔から用意されたことである。
その用意された出来事を処理するのも
全ては主観にすぎない。
主観は、自分の力でどうにでもなる。
しかし、物事はそれ自体において我々の
判断をこしらえるものではないので
意見を決めたり、心を悩ませる必要はない。
だから、万物の法則に従い、
内なる指導理性に従うこと。
君の仕事は、何か。
「善き人間であること」。
これに成功するには、一般原理から
出発する以外に道があろうか。
その原理とは、一方において宇宙の自然に
関するものであり、他方においては
人間固有の構成素質に関するもである。
善への努力を行い社会に有益な存在であり、
神々へに感謝を忘れないこと。
さすが、ストア哲学には共感できる節が
たくさんあるなぁと邦訳の内容を見ると
理解できる。
そもそも、このマルクス・アントニウス・アウレリウス
は西暦121年に生まれた人間の著書である以上
少なくとも1800年前の内容であるからして、
結局は人間社会なんてもんは一介の俺みたいな
平民以下の下劣な野朗が考える前から解明
されてるわけである。
なら、利用しない手はない。
ストア哲学によれば、
人間は、肉体(肉)と霊魂(息)と叡智(指導理性)
によってから成る。
指導理性は、宇宙を支配する理性の一部であり、
神的分身であって、これが人間の心の中に座を
占めるダイモーンであって人間の人間たる所以
であると説明される。
俺が思うのは結局は
昔も今も分からない内容=神なわけじゃん。
結局は、文明が発達して科学が発展しても
それを利用する人間の理性が進化しない
限りそんなに進歩はしていないと思う。
不便か便利な世の中で、
人間の本質や能力の優劣を議論しても
意味は無いと思う。
要するに、
昔も今も人間の生物的な欲求の
度合いも事実が解明された度合いで
たいして変わらないだろうし、
この先、人間が生物として理性を
持ち続ける以上は死への恐怖から
逃れることはできないだろうしね。
最終的に、今の俺が抗うように
自分の内なる欲求が暴走し出す頃が
精神の寿命であって、肉体の寿命は
だいたい今から50年後あたりだと仮定する。
それは、魂への苦役なのだろうか。
人生が長くて、長くて仕方ない気がする。
精神的な充足も対して無くなり
やることも無いから、解明できない不安を
神として信仰したんだね。
分かる気がする。
結局ね、なげぇよ人生。
分割できねぇかな。
とりあえず、
22歳で死んで。
いつかの22歳で復活して
45歳死ぬ。
いつかの45歳で復活して
60歳で死ぬ。
いつかの60歳で復活して
75歳で成仏する。
やっぱりね。
53年間をストレートに過ごすのは
長すぎるよ。
ニートさまと熱心な信者と
無気力症候群の患者さまの
気持ちが分かる。
やりたいこと、22歳を迎えて
13日目にして見失う昨今。
もう、自分のテンションで生きてる以上は
ずっとこのままだと思う。
という、無気力な内容でした。
おわり。
PR
- トラックバックURLはこちら