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”FULL SPEED”で俺の日常をかけぬけろ 2018年1月から再始動だぜ!!
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05.06.07:05

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  • 05/06/07:05

01.09.18:33

金曜日

雨が降っている。
空も泣いてくれているのか・・。

昨日の民事訴訟法で先生が、
これからの民事訴訟法のあり方を最終講義
だったために三十分ほど語っていた。
弁護士先生だけに実務に即した指摘をしていた。
裁判における法曹外からの人材の参加と
積極的な活用にたいして、官僚裁判官や大卒からの
修習を経て法曹になった者が社会的に常識が乏しい
ことをや医療訴訟や理系関連の訴訟や
商事関連の訴訟に対する事をおしゃっていた。
先生自身も大卒から司法修習へ行かれたエリートなので
自分も乏しいと認めていたことがとても驚いた。
やはり、試験範囲は控訴から出るらしい。

友達がオーストラリアへバックパックで旅するらしく、
いろいろと相談というか話したりした。
こういうことが個人としてできることで大人の自覚が
沸くねって言っていた。
春は、タイへ行こうかと思う。
世界遺産の寺院とかに行きたいかな。

最近、考えて思うことは客観的に考えるだけ空虚な
気持ちになるということ。
人の死や幸せとか生きる義務とかもそう思う。
死ぬことってそんなにいけないことかなって思う。
自分自身が生きる努力をして、寿命をむかえ
天寿を全うすることに意義があることなら、
自殺は反している。
しかし、自分で納得しているなら個人の自由だろうと
思う。理性だの倫理観だのを持ち出す前に俺たちは
生物であるし、世の中という望んでもいない世界に隔離されて
生きてる生物が唯一選べる解放が死なら否定すべきではない
と思う。
なにより、死んだ人間を取り巻く周囲のエゴが墓なのであるとしたら、
死んでつらいのはむしろ本人よりも遺された人間たちの方だろう。
それならば、少しくらい死を迎えたものに対してネガティブな感情では
なく生物から生物にたいして、お疲れ様でしたという気持ちで逝った者へ
尊敬と敬意を払いつつ送ろうではないかと考える。
そして、看取る側も精一杯にできる限りのことをして
納得がいくような形で弔う。
そういう姿勢が、人間の死に対して肯定的な考え方なのでは
ないかと考える。

安楽死や死刑制度の法整備にたいして、
自分自身、教授に対して三回ほどいろいろな形で
文献を見てレポートを書いたが結論は出ないと思う。
死刑制度に対しても遺族側の感情などを加味したらキリがないし
反対論の途上国の死刑廃止の働きかけや冤罪に対する懸念もある
刑事政策上の死刑制度の犯罪抑止力など様々な観点から
議論はあるが理論的な証明にまで至っていないらしい。
安楽死も自分が考える死の概念からも解決はできない。
死を容認する内容を法が定めることに疑問を覚える。
だが、実際の日本でおきている事件に対しての判例の際どさが
今の日本の医療に対する安楽死の考えかたなのだろうと
判例を読んで感じた。

人間はなぜ、互いを憎しみあい、互いを愛しあうのか
もっとも平和が望ましいがそれも俺が生きている間は
永遠に不可能だろう。
日本の政治を見る限り、政治家が日本を食いものにしているとしか
思えない。
人間から欲を奪えば、生物に近づけるのである。

そして、この考え方の流れで人間をリセットしてしまおうという
考え方が人類補完計画であり、エヴァンゲリオンの最終的なオチ
でもある。

これから、もっと勉強して先代に恥じぬような生き方をしたいと思う。




 

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